2016.10.11【"なんとかなる精神"の歴史と、これから(後編)】

"なんとかなる精神"のお話の続き。

(ちょっと時間があきましたごめん)

 

前編では、わたしの"なんとかなる精神"がどのように形成されたのか、はじめて真剣に考えてみました。

後編では前編をふまえて、最近のわたしを見つめつつ、これからの"なんとかなる精神"のありかたを考えます。

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いわゆる「就活」というものが嫌になり、サマーインターンとは無縁の夏を過ごし、秋を迎えました。映画鑑賞したり、野球観戦したり、旅行したり、ゲームにはまってみたり・・・なぜかここにきて、”人間的な娯楽”に時間を費やしています。ただ、将来のことを何も考えていないというわけではなく、直感的に恋に落ちてしまった企業があって、そこに就職したいなあと考えています。皆みたいな就活をしていないことに対して一抹の不安はあったりするけれど、持ち前の”なんとかなる精神”が発揮されて、過度な不安に駆られることもなく日々を過ごしています。今年の夏まではなんだかんだいろんなことに手を出していたので、大学入学以来こんなにゆったりと日々を過ごしているのは初めて。

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しかしながら最近、あまりにもゆるりと日々を過ごしているせいか、ちょっとだけストレス環境が恋しい。

そんな心境の変化もあって考えてみたけれど、何も考えていない / 考えることから逃げている状態を、"なんとかなる精神"でどんと構えていると錯覚しているよ、最近のわたし。

みんなと同じように就活をするべきとは思わないけど、しないならしないなりに考えることがあるはずなのに、考えることから逃げている。そんなわたしだから、あたまの中にあるなんらかのバランス感覚が反応して、ストレス環境が恋しくなったりしてるのかもしれない。

そもそも、”なんとかなる精神”でどんと構えていられるのは、やるべきことをやったうえでのこと。原点である「置かれたところで咲きなさい」の言葉の意味を、しっかりと思い出さなければ。

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このブログで”なんとかなる精神”をわたしたちの共通点にあげて、”なんとかなる精神”について考えを深めてみたことで、こんな気づきを得ることができた。

今日からは、恋しちゃった企業へのエントリーに向けて、いろいろと考えを詰めていこっと。1日のうちに必ずそのことを考えるタイムを一定時間とります。決めた。

そして、自信を持って”なんとかなる精神で生きてます”って言えるように、する。

 

 

 

2016.10.11【世界のどこかで折り合いがついてるはなし】

バイト先のお手洗いでのはなし。
 
あ、そろそろトイレットペーパーなくなりそうだな、補充しなきゃ。ということでふと下をみると、トイレットペーパーのストックがあった。
…とここまではふつうなのだが、カゴのなかで待機中のトイレットペーパー、ふつうのお手洗いとどこか様子がちがう。
「新品じゃないじゃん!」
 
そして、ここがホテルのバックヤードにあるお手洗いであることに思い至り、わたしは全てを理解した。
客室で中途半端に使用されたトイレットペーパーは、もう客室の備品として使用することはできない。そこで、使いものにならなくなった中古のトイレットペーパーを、ホテル従業員のお手洗いに設置することで消費しているらしい。
 
そういえば、「こちらのトイレットペーパーからお使いください」っていう張り紙、ホテルのお手洗いでよく目にする。
こうやって何事も、世界のどこかで折り合いがついてるんだなぁとしみじみ。ふとした言動が、世界のどこかのだれかに影響を与えてるのかもしれない。そんなことを考える余裕を持てるようになりたいなという学び。
 

2016.10.10【想像しようとすること】

 

時間がない、忙しい、

これらを理由にブログできないの悲しいから、ちょこっと雑かもしれないけど

今日のおはなしを。

 

ー想像しようとすること

 

私は、ちっちゃい赤ん坊たちの教育の日本人向けマーケティングを任せてもらい、

今日ははじめて、現場の先生とミーティングをしました。

 

そのミーティングがとても雰囲気よくお喋りできてとてもよかった今後の相談がとてもしやすくなったというのがひとつで、

もうひとつ、

私が少し感心した話を書きます。

 

マーケティングと直接は関係ないのだけど。

新しいサービスを考えようとしていて、私たちが先生たちに向けて提案していたものがありました。

 『日本のこの特色は、とてもいいもので、この地にはあまりないものだから、

  この特色という価値を提供したら、

  絶対売れる。』

(詳細を省いたらとってもわかりにくい...)

この特色は相対的にいいものであるのは確かで、それを望むママたちも多いだろうなと分かるものだったから、私はなにも疑問を抱いていませんでした。

ただ、先生のお話だと、その価値を直接提供できるサービスに落とし込むのが難しい。

そして、この特色を持ち合わせていないお客さんばかりがくるのは、先生にとってとても負担。

 

だから絶対無理、という話ではないとは思います。

現場目線というのか分からないけど、

先生がお話してくださったことを、自分ですぐ想像できるような、そんな風に仕事をしたいなあと感じています。

 

そして、先生が、面白い例も教えてくださったのでそれを。

 

モデルウォークを3~6歳児を専門に教えている習い事教室があるそう。

この教室の理念?としては、

「モデルウォークを通じて、自分に自信を持てる子供にする」

ということらしいです。

それって発想としては面白いけど、とても面白いなあと思ったのだけど、

論理がちょっと飛躍しているのではないかという話。

 

 

捉え方はいろいろできると思います。

お客さんが納得して購入して、納得してサービスを受けているのなら

商売としては成功なのかなあ、とも。。

 

ねむ、おやすみなさい。

 

2016.10.07【"なんとかなる精神"の歴史と、これから(前編)】

昨日ふとFacebookを見ると、以前インターンしていた企業でお世話になった社員さんと友達になって1周年!とのこと。

インターンを始めたのは、それまで打ち込んでいたサークル活動がひと段落し、将来に向けて動き出そうとしていた矢先のこと。わたしにとっては大きな節目だったけれど、そこからもう1年も経ったのだ。

なんだか無性に過去を振り返りたい気持ちになったので、わたしたちらしさでもある"なんとかなる精神"をテーマに文章を書いてみる。

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そもそもわたしが、"なんとかなる精神"を身につけたのは、いつだろう。そしてなぜだろう。

・・・と書いてみたけれど、正直なところ「いつ」も「なぜ」もはっきりしない。いつのまにか身につけ、いつのまにか「わたしらしさ」になっていた。

「置かれたところで咲きなさい」

これは母校の理事長である、シスター渡辺和子の言葉。

人生なにが起きるかわからないし、どのような試練を受けることになるかもわからない。でも、たとえどんな苦しい環境に置かれても、それは神様が与えてくださったものだから、そこで大きな花を咲かせることができるようにがんばりなさいという教え。

この言葉を知ってからは、やるべきことをきちんとこなした結果として与えられた環境は、神様が与えてくださったものであるから、その環境で花を咲かせることができるように努力するべきだし、その環境こそ自分の成長に必要なものだと考えるようになった。だから、たとえ思うような結果にならなくても、その結果として得た環境こそ自分に必要なものだと解釈して、プラスに考えるようになった。

この言葉こそ、わたしの"なんとかなる精神"の原点だ。

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さて、時は流れ、大学生になったわたしの関心事は「将来いかにして、結婚後も仕事と育児を両立するか」。

まだ結婚もしていない、結婚相手すら決まっていないのに、そんなことを真剣に考えていた。

というのも、専業主婦かつ父との仲が悪かった母から「将来は結婚しても、旦那さんに頼らずとも自分で生きていけるようになりなさいね」とことあるごとに言われていたのだが、まだまだ女性が働き続けることがむずかしい社会であることをぼんやりと知っていたからである。女性の社会進出や、ワークライフバランスという言葉が盛んに叫ばれるようになっていたことも理由の1つかもしれない。

どんな職業につけば結婚後も働きやすいのか。女性が働きやすい企業にはどんなものがあるのか。

わたしの思考はつねに将来はワーキングマザーになることを前提としていて、その前提を疑っていなかった。

しかしながら、ある女性官僚の方の言葉でわたしはハッとさせられた。

「人生なにが起きるかわからないし、自分の価値観もつねに移ろうもの。あなた今はワーキングマザーになりたいと思ってるかもしれないけど、いざ子供が生まれてみると仕事なんかせずに子供の世話をしていたいと思うかもしれないよ(笑)」

何も言い返せなかった。

けど、ふっと肩の力が抜けた気がした。

完璧な将来設計を立てたつもりでも、その「完璧」はあくまでその時点の自分にとっての完璧でしかなく、その「完璧」な計画を覆すような出来事が、人生では容易に起こりうるのだ。

そのことに気づかされてからというもの、わたしは将来について過度に心配したり、はっきりとした将来の道筋を見出そうとすることをやめた。

何が起こるかわからない人生、どんと構えたもの勝ち。置かれた環境でその都度、自分なりに努力することでわたしの人生は展開されていくのだ。

こうして、わたしの"なんとかなる精神"は形成されたようである。

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さて、思ったより長くなってしまったので、いま述べてきた "なんとかなる精神"の歴史をふまえたうえでいまの自分について思うことや、"なんとかなる精神"のこれからについて、後編で書く。

 

 

2016.10.06 【なんとかなる精神だけではなくて】

今朝急に、1年前の夏~秋は、おりせんだった、と気づきました。

 

実感的には、もう2,3年前の出来事のよう。
この1年間、
たくさん海外旅行はしたし(中国×2、ベトナム、フィリピン、タイ)。
たくさん遊んで、ごはんして、
たくさん相談して課題レポートやってゼミ試を受けて、落ちて、
なぜだか他学部のゼミ入っちゃった。
それから、たくさん面接(サマーインターン)も受けて、
中国共産党やら、儒教やら朱子学やらレポートもいくつか書いた、
そして、たくさんバイトして錬金((笑)して。

 

(半)強制されて、やるようなことがなにもなかったから、本当いろんなことをやった1年間でした。
遊びすぎと感じて後悔していた時期もあったけれど。
去年含め、この2~3年は突っ走っていたかなぁ。

 

突っ走ってるだけではなくて、
何に向けて、なんのために、走っているのかということも意識したいと思いました。
今日の話はなんだか、この1年間なにをしていたか思い出すためのものになりました。

 

連休も残るは明日のみ。
貯めていたお仕事を片付けよっと。

 

 

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ふたりとも、なんとかなる精神強すぎだから、
軌道修正の意味を込めてつけたこのブログタイトル。

わたしら二人らしさとは違うところを伸ばしていく。

 

いいネーミング。

 

 

 

2016.10.04 【必要に迫られればなんでもできるかもしれないということ】

2016.10.04 

 

【必要に迫られればなんでもできるかもしれないということ】

 

とびこんだ環境が、英語が必須になりました。

喋れなくても最悪大丈夫なのだけれど、メールを作成できるようにならないといけない。
必要に迫られた!
ということで、英語の勉強を始めたのだけど、
いままでで一番集中して勉強できているし、たのしい!

 

このまま継続的に勉強を続けられるようにがんばります。

 

現状維持で構わないと思わないこと、
できるようになってやる!
 そんなハングリー精神でいれば、環境が迫ってこなくても、必要性は迫ってくる気がしました。


できるようになってやろう。

 

 

これで書き溜めていた分はおわり。