2016.10.07【"なんとかなる精神"の歴史と、これから(前編)】

昨日ふとFacebookを見ると、以前インターンしていた企業でお世話になった社員さんと友達になって1周年!とのこと。

インターンを始めたのは、それまで打ち込んでいたサークル活動がひと段落し、将来に向けて動き出そうとしていた矢先のこと。わたしにとっては大きな節目だったけれど、そこからもう1年も経ったのだ。

なんだか無性に過去を振り返りたい気持ちになったので、わたしたちらしさでもある"なんとかなる精神"をテーマに文章を書いてみる。

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そもそもわたしが、"なんとかなる精神"を身につけたのは、いつだろう。そしてなぜだろう。

・・・と書いてみたけれど、正直なところ「いつ」も「なぜ」もはっきりしない。いつのまにか身につけ、いつのまにか「わたしらしさ」になっていた。

「置かれたところで咲きなさい」

これは母校の理事長である、シスター渡辺和子の言葉。

人生なにが起きるかわからないし、どのような試練を受けることになるかもわからない。でも、たとえどんな苦しい環境に置かれても、それは神様が与えてくださったものだから、そこで大きな花を咲かせることができるようにがんばりなさいという教え。

この言葉を知ってからは、やるべきことをきちんとこなした結果として与えられた環境は、神様が与えてくださったものであるから、その環境で花を咲かせることができるように努力するべきだし、その環境こそ自分の成長に必要なものだと考えるようになった。だから、たとえ思うような結果にならなくても、その結果として得た環境こそ自分に必要なものだと解釈して、プラスに考えるようになった。

この言葉こそ、わたしの"なんとかなる精神"の原点だ。

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さて、時は流れ、大学生になったわたしの関心事は「将来いかにして、結婚後も仕事と育児を両立するか」。

まだ結婚もしていない、結婚相手すら決まっていないのに、そんなことを真剣に考えていた。

というのも、専業主婦かつ父との仲が悪かった母から「将来は結婚しても、旦那さんに頼らずとも自分で生きていけるようになりなさいね」とことあるごとに言われていたのだが、まだまだ女性が働き続けることがむずかしい社会であることをぼんやりと知っていたからである。女性の社会進出や、ワークライフバランスという言葉が盛んに叫ばれるようになっていたことも理由の1つかもしれない。

どんな職業につけば結婚後も働きやすいのか。女性が働きやすい企業にはどんなものがあるのか。

わたしの思考はつねに将来はワーキングマザーになることを前提としていて、その前提を疑っていなかった。

しかしながら、ある女性官僚の方の言葉でわたしはハッとさせられた。

「人生なにが起きるかわからないし、自分の価値観もつねに移ろうもの。あなた今はワーキングマザーになりたいと思ってるかもしれないけど、いざ子供が生まれてみると仕事なんかせずに子供の世話をしていたいと思うかもしれないよ(笑)」

何も言い返せなかった。

けど、ふっと肩の力が抜けた気がした。

完璧な将来設計を立てたつもりでも、その「完璧」はあくまでその時点の自分にとっての完璧でしかなく、その「完璧」な計画を覆すような出来事が、人生では容易に起こりうるのだ。

そのことに気づかされてからというもの、わたしは将来について過度に心配したり、はっきりとした将来の道筋を見出そうとすることをやめた。

何が起こるかわからない人生、どんと構えたもの勝ち。置かれた環境でその都度、自分なりに努力することでわたしの人生は展開されていくのだ。

こうして、わたしの"なんとかなる精神"は形成されたようである。

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さて、思ったより長くなってしまったので、いま述べてきた "なんとかなる精神"の歴史をふまえたうえでいまの自分について思うことや、"なんとかなる精神"のこれからについて、後編で書く。

 

 

2016.10.06 【なんとかなる精神だけではなくて】

今朝急に、1年前の夏~秋は、おりせんだった、と気づきました。

 

実感的には、もう2,3年前の出来事のよう。
この1年間、
たくさん海外旅行はしたし(中国×2、ベトナム、フィリピン、タイ)。
たくさん遊んで、ごはんして、
たくさん相談して課題レポートやってゼミ試を受けて、落ちて、
なぜだか他学部のゼミ入っちゃった。
それから、たくさん面接(サマーインターン)も受けて、
中国共産党やら、儒教やら朱子学やらレポートもいくつか書いた、
そして、たくさんバイトして錬金((笑)して。

 

(半)強制されて、やるようなことがなにもなかったから、本当いろんなことをやった1年間でした。
遊びすぎと感じて後悔していた時期もあったけれど。
去年含め、この2~3年は突っ走っていたかなぁ。

 

突っ走ってるだけではなくて、
何に向けて、なんのために、走っているのかということも意識したいと思いました。
今日の話はなんだか、この1年間なにをしていたか思い出すためのものになりました。

 

連休も残るは明日のみ。
貯めていたお仕事を片付けよっと。

 

 

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ふたりとも、なんとかなる精神強すぎだから、
軌道修正の意味を込めてつけたこのブログタイトル。

わたしら二人らしさとは違うところを伸ばしていく。

 

いいネーミング。

 

 

 

2016.10.04 【必要に迫られればなんでもできるかもしれないということ】

2016.10.04 

 

【必要に迫られればなんでもできるかもしれないということ】

 

とびこんだ環境が、英語が必須になりました。

喋れなくても最悪大丈夫なのだけれど、メールを作成できるようにならないといけない。
必要に迫られた!
ということで、英語の勉強を始めたのだけど、
いままでで一番集中して勉強できているし、たのしい!

 

このまま継続的に勉強を続けられるようにがんばります。

 

現状維持で構わないと思わないこと、
できるようになってやる!
 そんなハングリー精神でいれば、環境が迫ってこなくても、必要性は迫ってくる気がしました。


できるようになってやろう。

 

 

これで書き溜めていた分はおわり。

 

2016.10.02 【わたしの一番大事な仕事】

2016.10.02

 

中国は国慶節2日目!

昨日から一週間は、会社はお休みだけど、自分でこれからの業務の勉強を始めよっと。

 

【上司の仕事をいかに軽減したり奪って代わりにやれるかがあなたの一番大事な仕事】

 

これは、オフィスマネージャがメールでくれた言葉。

 

できないことをできないままにして、すぐ上司に頼るのではなく、
自分でできるようにして解決して上司を助けてあげられるようにならなきゃいけない。

そして、現状に満足せずに、どんどんできる仕事の領域を広げられるようにしなきゃいけない。

 

そんな心持で仕事をしなければならないということだと思います。

 

だれかの役に立つこと、これが仕事の基本であることを忘れずに
ちょこっとじゃなくて、ちゃんと、少し辛いくらいで頑張らないといけないみたいです。

 

この1年間は苦労する年。

2016.10.01 【声を出さなきゃなにも伝わらない】

書き溜めていたものを先にすべてアップさせてね

 

2016.10.1

昨日のはなし。
 
何か新しい環境で人に教えてもらいながら、
これからインターンしていく上で気をつけなきゃいけないこと、特に中国で生活する上で大切かもしれないこと。
 
3日前に新しい環境でインターンが始まって、
さすがに初めだから指示がくるだろうと思って適当に時間を過ごしていました。
でも、指示なんてこなくて。
 
ミスやアホがバレると思って、恐れて聞かないでいると、
どんどん怖い気持ちおっきくなっていって、聞けなくなっていくこのかんじ。
 
3日目だった昨日、オフィスマネージャーが「タスクリストをメールしろ」と指示をくれて、あ、仕事を自分で取りにいかなきゃいけないのかって気づきました。
担当の人に聞いたらまさかなにも仕事持ってないとは思わなかったみたいで、それでもとても優しく教えてくれてやっとわたしのインターン業務がスタート。
 
待っていても誰も気づかない。
それにね、誰も声を出さない人を助けてくれない。
そして、どんどん聞きづらくなくなる。
 
だから、早めにちゃんと声を出して聞くようにしよう、
怖がらずにコミュニケーションをとろう、

という学び。

 

 

2016.10.05【あした、なに着て生きていく?】

時間に追われながらあくせくと今日のお洋服を決める朝と、夜のうちに考えておいたお洋服を落ち着いて身にまとう朝。 

結果として選んだお洋服がたとえ同じでも、その日1日の”軽やかさ”が全くちがうことに気がつきました。

もちろん、目覚めたときの気分でクローゼットをながめるのも素敵だし、そういう朝もあっていい。

でも、明日の天気をチェックして、明日の予定を確認して、明日会う顔を思い浮かべて、明日をどんな気分で過ごしたいかを考えながら、明日のお洋服を決める・・・そんなちょっとした時間をもつだけで、今日の自分を振り返りつつ軽やかに明日へと進める気がします。ただ、お洋服に悩まなくていいからといって油断して寝坊したら本末転倒!気をつけねば。

《記念すべき初投稿でした》